ドイツ伝統の系譜に連なる偉大な巨匠のひとりとして、作品解釈に世界的定評のあるワーグナー、シュトラウス、ブルックナー、ブラームス、ヒンデミット、新ウィーン楽派の膨大なディスコグラフィを持つ。ベルリン放送交響楽団と共演したワーグナーのオペラ・サイクルでは、コンサート形式によるオペラ上演の新たな基準を作り上げた。ペンタトーンのライブ録音は、BBCミュージック・マガジンで「21世紀の指環の音」と評された。
世界の一流オーケストラから卓越した評価を得ながら、定期的にベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団、ケルンWDR交響楽団、NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団、バイロイト音楽祭および同祝祭管弦楽団、ブダペスト祝祭管弦楽団、チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団、スイス・ロマンド管弦楽団、フランス放送管弦楽団、オスロ・フィルハーモニー管弦楽団、NHK交響楽団、東京オペラの森、アメリカではサンフランシスコ交響楽団、シカゴ交響楽団、ワシントン・ナショナル交響楽団と共演している。
オーケストラを国際的なレベルに引き上げる手腕が賞賛され、音楽監督や首席指揮者として世界中から求められている。近年では、2019年から23年まで、それ以前には01年から03年までドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者と芸術監督を兼任した。このほか、02年から16年までベルリン放送交響楽団の芸術監督、00年から05年までモンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督をつとめた。1984年から2000年にかけては、フランス放送管弦楽団の音楽監督として、同楽団をフランス国内はもとより国際的にも傑出したオーケストラへと高めた。86年から90年までは、パリの仕事と並行してケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団の首席指揮者、97年から99年までベルリン・ドイツ交響楽団の第一客演指揮者をつとめた。
ワルシャワに生まれ、ドイツで学んだヤノフスキは、アーヘン、ケルン、デュッセルドルフ、ハンブルグなどでのアシスタントを皮切りに、フライブルク・イム・ブライスガウ(1973-75)、ドルトムント(1975-79)のオーケストラで音楽総監督に就任。ドルトムント時代急速にその手腕が評価されるようになり、ヨーロッパの主要歌劇場の多くから招聘されるようになった。70年代末以降は、メトロポリタン歌劇場、バイエルン国立歌劇場、シカゴ、サンフランシスコ、ハンブルグ、ウィーン、ベルリン、パリなど世界の著名な歌劇場に定期的に客演している。90年代以降は、ベートーヴェンなどドイツの名交響曲のレパートリーに専念し、極めて高い評価を得ている。
40年以上に渡って積み上げられてきた膨大なディスコグラフィには、80年から83年にかけて録音された代表作、ドレスデン国立歌劇場管弦楽団とのワーグナー『ニーベルングの指環』がある。このほか、ペンタトーンで録音されたスイス・ロマンド管弦楽団とのブルックナーの交響曲全集をはじめ、オペラ全曲集や交響曲全集が多くの賞を受賞している。さらにペンタトーンからリリースされたリーゼ・ダヴィドセン、アンドレアス・シャーガー、フランクフルト放送交響楽団、ライプツィヒMDR放送合唱団とのウェーバー『魔弾の射手』、ケルンWDR交響楽団とのベートーヴェン 交響曲第5番「運命」第6番「田園」、ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団とのシューベルト 交響曲第7番「未完成」第8番「ザ・グレイト」、モンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団、クルージュ・トランシルヴァニア・フィルハーモニア合唱団のほか、フレディ・デ・トマーゾ、レスター・リンチ、サイオア・エルナンデスとのヴェルディ『仮面舞踏会』が高い評価を得ている。
PMFには首席指揮者として20年に参加予定が新型コロナウイルス感染症の影響で音楽祭が中止となったため、5年を経て初めての参加となる。