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PMF Founded by Leonard Bernstein PMF MUSIC PARTNER
2025年7月 - vol. 120
 
青春の輝き、一期一会のオーケストラの集大成 一期一会のオーケストラの集大成 PMF2025 最終公演
PMF2025イメージ

PMFオーケストラは、オーディションを突破した世界の若手音楽家で結成する「一期一会のオーケストラ」です。
今年は70ヵ国・地域から1,344人がアカデミー・オーディションに応募し、合格した23ヵ国・地域出身の95人による“第35期”のPMFオーケストラが開幕とともに誕生しました。
1990年の創設以来、同じメンバー、同じ響きのPMFオーケストラはありません。しかし、変わらないものが一つあります。それは「青春の輝き」です。
仲間と切磋琢磨しながら、自分を高める挑戦を続ける姿は美しい。PMF2025のアカデミー生も一人ひとりがキラキラと輝いています。この夏のすべてを出すべく最終公演に臨むPMFオーケストラにあたたかい応援をよろしくお願いいたします!

PMF2025 アカデミー・メンバー
 
 
 
 
 PMF2025 コンサート
 
マレク・ヤノフスキ、スティーヴン・イッサーリス

シューマンの命日に、シューマンの名曲

PMFオーケストラ東京公演

いよいよ明日はPMF2025の最終公演。巨匠ヤノフスキ率いるPMFオーケストラの集大成となる演奏にどうぞご期待ください!

日時・会場

7月29日(火)19:00 開演
サントリーホール(東京都港区赤坂1丁目13-1)

出演

マレク・ヤノフスキ(指揮)
スティーヴン・イッサーリス(チェロ)*
PMFオーケストラ

プログラム

ワーグナー
歌劇『ローエングリン』第1幕への前奏曲

シューマン
チェロ協奏曲 イ短調 作品129 *

シューマン
交響曲 第3番 変ホ長調 作品97「ライン」

R. シュトラウス
交響詩「死と変容」作品24

チケット料金

S席 9,000円(フレンズ料金 7,600円)
A席 7,000円(フレンズ料金 5,900円)
B席 5,000円(フレンズ料金 4,200円)

当日券は18:00からサントリーホール入口で販売します。
<お問い合わせ> チケットスペース 03-3234-9999
 
PMF2025フレンズ(賛助会員)の方は会員証のご提示で 当日券や公式グッズが割引となります。
 
 
公演助成/ロームミュージックファンデーション/公益財団法人 三菱UFJ信託芸術文化財団
 

バッグは3回目の入荷が決定!
PMF2025 公式グッズ

7月9日に発売したPMFの公式グッズ。おかげさまで大変ご好評をいただいております。
今回は初のコラボ企画商品となった刺繍バッグをご紹介します!

〜日常も非日常も。音楽を聴くように〜 国際教育音楽祭PMF×ボールアンドチェーンによる”唯一無二”の詩集バッグが誕生

創設35周年と開催35回目に感謝し、クラシック音楽の未来を祝福する特別企画として、この夏、日本と海外で人気急上昇中のボールアンドチェーンとのコラボレーションが実現しました。
ボールアンドチェーンは、SAN HIDEAKIMIHARAのデザイナーで、テレビ通販ショップチャンネルでも人気ゲストの三原英詳さんがコロナ禍の2020年に立ち上げたブランド。「デザインやプロダクトの力を通して世の中を元気にしていきたい」というコンセプトから生まれました。
エコバッグという日常的なアイテムに、環境への配慮と洗練されたデザインを融合させることで実用性を超えた価値を提供し、使う人の「モノを大切にする気持ち」を引き出したい。ボールアンドチェーンは建築家からデザイナーに転身し、現在はバッグ職人の育成にも力を入れる三原氏の経験や知見、想いが昇華した日本発のプロダクトです。

ボールアンドチェーン コラボレーションバッグ

花と楽器のPMF限定デザインを制作したのは、アカデミー生と同じ20代で、札幌のデザイン会社シオリグラフィックに所属する男性デザイナーの工藤地央(ちひろ)さん。
北海道に咲く、菜の花・ポピー・ライラックのスケッチ画をもとに「感謝と祝福の花束」を作りました。花々から浮かび上がるヴァイオリンとトランペットが私たちをワクワクさせます。
発売以来、点と点が線になるように、このバッグを通してPMFと全国の方々がつながっています。まさに“ボールアンドチェーン”です! あたたかいご支援に感謝いたします。
初回入荷分(100個)に続き、2回目の入荷分(80個)も完売となりましたが、このたび限定数での入荷が決定。ミュージック・パートナー読者の皆様にご案内します。
ブラックはラストチャンスです。ご注文は公式グッズWEBページからメールでお願いいたします。

販売価格(税込・送料サービス)

サブバッグとしておすすめ!

Mサイズ(ブラック、ライトグレー、サーモンピンク)

1個 6,050円

肩掛けOKで通勤や旅行も軽やかに!

Lサイズ(ブラックのみ)

1個 6,600円

※素材やサイズなどの仕様は公式グッズWEBページでご確認いただけます。

 

Tシャツと楽器刺繍ポロシャツも好評販売中!

PMF2025 終了後も公式グッズWEBページで通信販売を行います。皆様のご注文をお待ちしております。

チェロ、ホルン、ハープのデザインのシーズンTシャツは北海道のラベンダーと夕張メロンをイメージした色合いです!
PMF2025 公式Tシャツ
 

お願い

7月28日(月)以降のご注文は、31日(木)からメールの受信日時の順に対応させていただきます。
在庫状況によっては、ご購入できない商品もございます。
あらかじめご了承ください。

 
 
人生に参拝!

今回は「墓マイラー・カジポン」によるロベルト・シューマンの後編をお届けします(前編はバックナンバーをご覧ください)。
大恋愛を経て30歳のシューマンは9歳年下のクララと結婚。その後の人生も波瀾万丈でした。
明日はシューマンの命日。19世紀を生きた彼の作品を、今を生きるPMFオーケストラが精一杯演奏します。それでは、シューマンの人生に参拝!

後編/ロベルト・シューマン 誕生日 1810年6月8日/命日 1856年7月29日 ドイツ・ロマン派を代表する作曲家

シューマンは結婚の年(30歳)に歌曲の創作に目覚め、1840年は彼にとって“歌の年”となった。シューマンいわく「ほかの音楽には全く手がつかなかった。私はナイチンゲールのように、死ぬまで歌い続けるのだ」。1年のうちに120曲以上もの歌曲を生み出し、それに加えて、従来は歌曲において単なる伴奏という扱いだったピアノの地位を劇的に向上させた。歌とピアノが対等の立場で詩の世界を表現しており、ピアノ・パートのこのうえない美しさから「歌の伴奏を持つピアノ曲」とまで言われている。
翌年は『交響曲第1番“春”』で交響曲デビューを果たし初演で成功を収め、のちのオラトリオも初演で大成功、33歳になると、メンデルスゾーンが創設したライプツィヒ音楽院の講師に招かれ収入が安定した。名声を手に入れたシューマンのもとへ、ついにクララの父から「親愛なるシューマン、対立していても芸術において私たちはつねに一つでした」と和解を求める手紙が届いた。両者は長年の確執を超えて和解し、クララは「これでようやく私の切なる願いが聞き届けられました」と喜びを日記に記す。
だが、この劇的な和解の翌年から、シューマンの健康状態が急速に悪化していく。約半年間のロシア訪問の際、クララはショパン、リストと並ぶ19世紀の最も有名なピアニストの1人として、帝都サンクトペテルブルクでロシア皇帝を前に御前演奏を行った。一方、ロシアでは知名度の低かったシューマンは「ピアニストの夫」という扱いに終わった。前年の北ドイツの演奏旅行でも、クララだけが宮廷に招待され、傷ついたシューマンはひとりライプツィヒに戻っている。シューマンは現実を受け入れた。「芸術家同士が結婚すれば、当然そうなるに違いないのだ。大切なのは幸せをずっと永続きさせることである」。
気を強く保とうとしたが重度の神経疲労に陥り、高所恐怖症、体の震え、鋭利な金属への恐怖症に苦しみ、幻聴が作曲を不能にした。環境を変えるためドレスデンに転居し、4年がかりの労作『ピアノ協奏曲イ短調』を書きあげた。
1847年、シューマンには辛い出来事が続く。長男が1歳で早逝し、盟友メンデルスゾーンが38歳の若さで他界した。翌年シューマンは、おそらく長男への追悼の想いを込めたのであろう、「楽しき農夫」を含む『子供のためのアルバム』を作曲している。
こうした日々の中、同時代の音楽家で最大の成功者となったリストがシューマン家を訪問した。当時37歳のリストは強烈な上昇志向を持ち、皮肉屋の一面があった。シューマンがセッティングした晩餐会を2時間も遅刻してきたうえ、他界したばかりのシューマンの親友メンデルスゾーンの批判を始めた。怒りの沸点に達したシューマンはリストの両肩を鷲掴みにし、「そんな風に言えるあなたは、いったいどれほどの人間なのだ!」と叫び部屋を出ていった。リストはクララに謝罪した。「ご主人は、私がきつい言葉を冷静に受け止めることができた、ただ1人の相手です」。その後、リストはシューマンの作品を積極的に演奏し続け、シューマンはリスト宛の手紙に「大切なことは絶えず努力し、向上することです」と書いて水に流した。
40歳のときにドイツ西部デュッセルドルフの管弦楽団・合唱団の音楽監督を引き受け、ライン河畔(かはん)で明るい新生活がスタートする。西部ドイツの風物や川べりの散歩で創作欲は盛んになり、2週間で『チェロ協奏曲』を作曲。彼は出来映えに満足したようで、後日チェロパートをヴァイオリン用にアレンジしてヴァイオリン協奏曲としている。さらに、旅先で見た壮麗なケルン大聖堂に霊感を刺激され『交響曲第3番“ライン”』を1ヵ月強で書きあげた。この曲はライン川の川下りをするように、第1楽章が上流のローレライから始まり、第2楽章のコブレンツからボン、第3楽章のボンからケルン、第4楽章のケルン大聖堂、第5楽章のデュッセルドルフのカーニバルと下流へ旅をしていく。

5.ボンはベートーヴェンの生誕地でもあり、同じ墓地に母親マリアも眠っている。/6.ボンにあるベートーヴェン像。この像を建てる際、シューマンは 『ベートーヴェン記念碑のためのピアノ大ソナタ』を書き、楽譜の収益を寄付している。曲名はのちに『幻想曲ハ長調』となった。 晩年のシューマンは見舞いに来てくれたブラームスを駅まで見送るため、この像まで一緒に散歩し別れたという。

1853年(43歳)には新たに大きな出会いがあった。シューマンの家を当時20歳のブラームスが訪れ自作のピアノソナタを弾き出すと、シューマンは才能に驚いてすぐにクララを呼び、「もう一度最初から弾いてくれ」と頼んだ。翌月、シューマンは鼻息荒く10年ぶりに『新音楽時報』に寄稿、「新しい道」と題してブラームスを熱烈に賞賛、彼の名を広く楽壇に紹介した。ブラームスにとってシューマンは生涯の恩人となった。
同年秋、シューマンの病気が進行し、演奏を開始できないという事件が起きる。それまでもシューマンの代わりに、クララが「ここは弱く演奏してほしいと夫は思っています」など代弁していたが、決定的な出来事をゲスト奏者が証言している。「彼は指揮棒を振り上げたまま立っていて、楽団員は楽器を構えたまま、いつ弾き始めればよいかわからなかった。コンサートマスターと私が手で合図して演奏を開始すると、シューマンは嬉しそうに笑いながらついてくるという有様だった」。この日を最後にシューマンが指揮台に上ることはなかった。
翌年、シューマンはレストランで読んでいた新聞を置き「とてもこれ以上は読んでいられない。ラの音が鳴りっ放しで聞こえるんだ」と知人に苦しみを訴えた。クララの日記「かわいそうなロベルト。彼にはどんな音も音楽に聞こえ、これが止まらなければ気が狂ってしまうと何度も訴えています」。そしてシューマンは真冬のライン川に身を投げた。たまたま落ちるところを目撃した漁師に助けられて一命を取り留めた。我に返ったシューマンは自ら希望して精神病院に入院する。直後に末子が生まれ、メンデルスゾーンの名前と同じフェリックスと名付けた。
1856年7月、クララが生活費を得るためのイギリス演奏旅行から帰宅すると、「患者が存命のうちにお会いになりたければ至急おいで下さい」と病院から電報が届いた。医師はシューマンを興奮させないために2年間も彼女の面会を禁じていた。駆けつけると彼はクララに微笑みかけ、自由がきかない体で懸命に腕を回した。クララの回想「私はそれを決して忘れません。世界中の宝をもってしても、この抱擁には代えられないでしょう」。
それから2日後の7月29日午後4時、46年の生涯を閉じた。このときクララは37歳。女手ひとつで7人の子を育て上げ、後年は音楽院で教師を務めた。彼女は誰とも再婚せず76歳まで生き、ボンのシューマンの墓に葬られ、夫婦は40年ぶりに再会した。葬儀の参列者がみんな帰った後、最後までひとり残って墓を見つめていたのが老ブラームスだった。
豊かな歌心の持ち主だったチャイコフスキー(1840-1893)は、詩的で優しく聴き手に寄り添うシューマンの音楽が後の人々に愛されることを見抜いていた。
「今世紀(19世紀)後半の音楽は、芸術の歴史の中で、後世の人がシューマン時代と呼ぶようになっていくに違いない」

7.シューマンが川岸を好んで散歩した雄大なライン川/8・9.墓前の花壇にはシューマン夫妻(ロベルト&クララ)の名を刻んだ石板がある。

〔参考資料〕
『音楽家の恋文』(クルト・パーレン/西村書店)
『尚美学園大学芸術情報学部紀要第6号 クララ・シューマン』ほか

 
写真:カジポン・マルコ・残月

カジポン・マルコ・残月 Kajipon Marco Zangetsu

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1967年大阪府生まれ。文芸研究家にして「墓マイラー」の名付け親。ゴッホ、ベートーヴェン、チャップリンほか101ヵ国2,500人以上に墓参している。信念は「人間は民族や文化が違っても相違点より共通点の方が“はるかに”多い」。日本経済新聞、音楽の友、月刊石材などで執筆活動を行う。最新刊は『墓マイラー・カジポンの世界音楽家巡礼記』(音楽之友社)、共著に『地球の歩き方・世界のすごい墓』『地球の歩き方・ジョジョの奇妙な冒険』(Gakken)など。レギュラー出演に『ラジオ深夜便 世界偉人伝』(NHKラジオ)、『お墓から見たニッポン』(テレビ大阪)。コロナ禍を経て2023年に海外での墓巡礼を再開、偉人の墓と生涯を紹介したHP『文芸ジャンキー・パラダイス』は累計8,000万件アクセスを超える。

 
 
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