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PMF Founded by Leonard Bernstein PMF MUSIC PARTNER
2025年6月 - vol. 119
 
PMF2025 第35回 パシフィック・ミュージック・フェスティバル札幌 7月9日(水)〜 7月29日(火)
PMF2025 公式グッズ デザイン発表 & WEB限定先行販売のご案内/7.9(水)発売

北海道のラベンダーが花盛りとなる頃、オーディションを突破したアカデミー生が世界中から札幌に集まり、新しいPMFオーケストラを結成します。
PMF2025が開幕する7月9日(水)からコンサート会場などでオリジナルTシャツと楽器刺繍ポロシャツを販売する予定です。
今号のミュージック・パートナーでは、いち早く読者の皆様にデザインをご紹介するとともに、WEB限定先行販売を行います。
いよいよ、あと1ヵ月で“音楽の夏”の扉が開きます!シリーズ10年目のTシャツをはじめ、PMFとファンをつなぐ公式グッズをお買い求めいただきますよう、今年もよろしくお願いいたします。

デザイン:ラベンダーのイメージ
デザイン:メロンのイメージ
デザイン:モーツァルトのイメージ
デザイン:ベートーヴェンのイメージ
デザイン:キッズのイメージ
デザイン:ポロシャツ/楽器デュオ(ヴァイオリン&トランペット)のイメージ/楽器トリオ(ホルン&ヴァイオリン&ピアノ)のイメージ
デザイン:シャンパンのイメージ
デザイン:コーヒーフロートのイメージ
WEB限定先行販売 6月6日(金)から 7月8日(火)まで/PMF2025オリジナルTシャツ「ラベンダー」/その他のグッズは7月9日(水)発売です。
賛助会員価格(PMFフレンズ)1枚 1,500円(税込)/一般価格 1枚 2,000円(税込)/PMFサポート価格 1枚 3,000円(税込)PMF運営のための応援金(1,000円)を含む
応援金は税法上の寄付金ではないため、寄付金受領証明書の発行はございません。

素材:綿100%
色:サンドベージュ(生地)× ラベンダー(デザイン)
サイズ: S、M、L、XL

・WEB通販は送料サービス
 (7月1日(火)からは事務局(窓口)でも受取可能)
・在庫がある場合、7月1日(火)から窓口販売
 (お支払い方法は現金のみ)
・在庫状況は6月下旬に更新予定のWEBページで
 ご確認ください。

Tシャツサイズ表
ご購入を希望される方はメールでお知らせください。件名 Tシャツ(ラベンダー)本文/?お名前 ?サイズと枚数 ? お支払い方法(カード決済または現金) ? お受け取り方法(送付または来訪) ? 電話番号/詳細は追ってご連絡いたします/お願い ご来訪の場合、マイバッグ持参でお受け取りをお願いいたします。
 

【予告】

〜 日常も非日常も。音楽を聴くようにバッグを持つ 〜

唯一無二の音楽祭と、唯一無二のブランドによる
コラボレーション

この夏、大注目の人気ブランド「ボールアンドチェーン」とPMFがコラボした“唯一無二”の刺繍バッグが発売!
次号のミュージック・パートナーで詳しくご紹介します。

ボールアンドチェーン コラボ刺繍バッグ
 
 
 
 PMF2025 コンサート
 
PMFクラシックLABO♪/東京文化会館ミュージック・ワークショップ

こどもも大人も「クラシック音楽を学ぶ、楽しむ」

PMFクラシックLABO♪

クラシック音楽をもっと身近に、もっと気軽に楽しんでもらいたい。そんな想いから、2021年に誕生した音楽講座シリーズ。
ご好評につき、PMFと東京文化会館ミュージック・ワークショップによるプログラム第2弾!

7月12日(土)10:30 開演 旅するヨーロッパ/札幌コンサートホール Kitara(大ホール ステージ)/1組(こども1名+保護者1名)2,000円るヨーロッパ(対象:3〜4歳)
 
7月12日(土)12:00 完売? 旅するヨーロッパ(対象:5歳〜低学年)/札幌コンサートホール Kitara(大ホール ステージ)/1組(こども1名+保護者1名)2,000円
 
7月12日(日)14:30 大人だけでの参加もOK! 開演One Day セッション(対象:小学生〜大人)/札幌コンサートホール Kitara(大ホール ステージ)/1名 1,000円
キッズTシャツ(110cmと140cm)と楽器刺繍ポロシャツは同じデザインなので、親子でお揃いのリンクコーデが可能です!
 
 

音楽の楽しさ、感動、そして未来がここに

PMFリンクアップ・コンサート

カーネギーホールが開発した教育プログラムをもとにPMFと札幌市教育委員会が2013年に“札幌版”として考案した音楽普及事業。
今回は、札幌市立小学校(11校)から約760人の6年生が参加し、リコーダーと歌でPMFオーケストラと共演!

7月18日(金)13:45 開演/札幌コンサートホール Kitara(大ホール)/一般:指定席 1,000円/フレンズ割引:指定席 800円
 
公演助成/公益財団法人 花王 芸術・科学財団/公益財団法人 朝日新聞文化財団
 
人生に参拝!前編

「人生に参拝!」は、文芸研究家で元祖・墓マイラーのカジポン・マルコ・残月さんが音楽家たちの人生に光を当てる連載企画。今回の主役は作曲家のロベルト・シューマンです。
創設者レナード・バーンスタインの勇姿とともに、時を超えてPMFの伝説となっているシューマンの2番。35年後の今年、世界23ヵ国・地域出身の95人で結成するPMFオーケストラは交響曲第3番「ライン」ほかシューマン作品を複数演奏します。
光と影の中で多くの作品を創り上げたシューマン。PMF2025のコンサートをより楽しんでいただくため、今回はロベルト・シューマンの「前編」をお届けします。それでは、ご一緒に、シューマンの人生に参拝!

前編/ロベルト・シューマン 誕生日 1810年6月8日/命日 1856年7月29日 ドイツ・ロマン派を代表する作曲家

「私はよくあなたのことを考えます。妹や女友達としてではなく、巡礼者が遠く離れた祭壇画に想いを馳せるように」
のちに妻となるクララに愛のこもった手紙を何通も書いたシューマン。情熱的で繊細な彼の音楽は、内省的な性格から生まれている。若手音楽家を支援するなど根底には人間愛があり、ピアノの小品は柔らかな木漏れ日のように聴く者を包み込んでくれる。今回は人間味にあふれたシューマンの生涯と音楽を紹介したい。
ロベルト・シューマンは1810年6月8日にドイツ東部ツウィッカウに生まれた。少年時代に父がベートーヴェンの交響曲や著名ピアニストの演奏会を聴かせてくれたことで、早くから音楽の素晴らしさを知る。父はシューマンの楽才に気づきピアノを買い与え、彼は夢中で鍵盤に向かい、7歳でピアノ曲を作曲した。一方で父が書籍商ということもあり、文学方面にも早熟で、15歳でドイツ文学サークルに入り、ゲーテやシラーを愛読した。17歳の年にベートーヴェンが他界し、翌年にシューベルトが31歳で夭折している。シューマンは「私だけのシューベルト」と語るほどシューベルト作品を好んでいたため、訃報に接し一晩中泣いたという。
シューマンが18歳のときに人生を決定づける出会いがあった。当時の彼は法律家を目指してライプツィヒ大学の法学部に進んでいたが、知人の家でピアノ教師のフリードリヒ・ヴィークと娘クララの親子と知り合う。クララはまだ9歳だったが、この年に名門オーケストラとモーツァルトのピアノ協奏曲で共演し、“神童”と呼ばれる大成功を収めていた。
シューマンは20歳のときに、天才ヴァイオリン奏者パガニーニ(1782-1840)の演奏に鳥肌が立つほどの感動を覚え、母に「法律を捨て音楽で身を立てたい」と決意を伝えた。母が反対したことから、ピアノの師ヴィークが「息子さんの音楽的才能は私が保障します。私の家に住まわせレッスンをします」と説得。こうしてヴィーク家でのシューマンの新生活が始まった。だが、ヴィークのレッスンは極めて厳格で容赦なく、無理な練習がたたってシューマンは右手の指を負傷し、ピアニストになる夢を断たれてしまう。
1832年(22歳)、同い年のポーランド人ショパン(1810-1849)の演奏を聴いたシューマンは興奮し、「諸君、脱帽したまえ、天才だ」とショパンを讃える論文を音楽雑誌『一般音楽新聞』(ドイツ初の音楽雑誌)に寄稿、これが最初の音楽評論となる。いち早くショパンの真価を見抜いた名コラムであったが、同誌は保守的で、以降、シューマンの寄稿は次第に無視されていった。
2年後、彼は人々に若い音楽家の作品に耳を傾けさせる目的で、友人らと『新音楽時報』を創刊。10年間ペンを執り、新進音楽家ショパン、メンデルスゾーン、ベルリオーズらを世に紹介した。『新音楽時報』はドイツでもっとも影響力のある音楽雑誌に成長し、シューマンは作曲家としてよりも批評家として最初に名声を得た。同誌は後にワーグナーも編集部員となり、なんと現在も隔月で刊行中だ。
クララが16歳になると、それまで兄妹のようだったシューマンと恋愛関係になっていく。クララの父ヴィークは弟子と愛娘の関係に気づいて驚愕した。男手一つで育てた至宝を、コンサート・ピアニストとして活躍させるのが夢であり、主婦として家庭に入るなど考えられなかった。しかもクララは前年に『ピアノ協奏曲』を書き上げており、作曲家としても前途有望だった。2人を引き離すためヴィークがドレスデンに引っ越しさせたが、シューマンは彼女を追ってドレスデンで密会した。これを知ったヴィークは激怒し、娘をライプツィヒに連れ戻し、手紙の検閲を行い、単独での外出禁止を命じた。ヴィークは娘を失う恐怖のあまり、「シューマンは大酒飲み」とデマを流して新聞で中傷し、街角でシューマンを見かけると罵詈雑言を浴びせて唾を吐きかけるなど、異常な行動を取るようになった。父想いのクララは「このままでは父が死んでしまう」といったん別れを決意し、シューマンの手紙をすべて送り返した。
翌年、クララは自分の愛が本物であると確信、自身の演奏会でシューマンが献呈してくれた『ピアノソナタ第1番』を弾き、その数日後に結婚を承諾する手紙を彼に送った。だが、2人が婚約してもヴィークはシューマンの収入の不安定さを理由にあげて結婚を許さなかった。

1.ドイツ・ボンの旧墓地に眠るシューマン夫妻。白亜の美しい墓所でクララに似た音楽の女神がシューマンを見上げている。/2.墓石の上部にシューマンの横顔のレリーフが彫られている。

1838年(28歳)、クララに会うこともできず、「1分でも(結婚が)遅れたら死ぬも同然だ。これ以上は耐えられない」と苦悩の日々を送るシューマンだったが、彼女への想いを作品に昇華することで次々と傑作が生まれていく。「トロイメライ」を含む優しさあふれるピアノ曲集『子供の情景』は、少女時代のクララを思い浮かべて書いた。ひとつ年下のフランツ・リスト(1811-1886)は『子供の情景』に感動し、シューマンへの手紙に「この曲のおかげで私は生涯最大の喜びを味わうことができた」「週に2、3回は娘のために弾いています」と書き綴った。
同年秋から半年間、シューマンはウィーンに滞在し、かねてから敬愛していたベートーヴェンとシューベルトの墓参りをした。そして生前のシューベルトの話を聞くためにシューベルトの兄の家を訪ね、そこで遺稿の中から『交響曲第8番“ザ・グレート”』の草稿を見つけるという大発見をする。数ヵ月後にライプツィヒにてメンデルスゾーンの指揮で初演され空前の成功を収めた。
一方、クララも10代後半にしてその名がヨーロッパ中に伝わり、演奏を聴いたショパンは「僕の練習曲集を弾ける唯一のドイツ人女性」と激賞。オーストリア皇帝から最も栄誉ある「王室宮廷室内楽奏者」の称号を外国人女性で初めて授与され、ゲーテからは「才能ある芸術家クララ・ヴィークのために」と銘文が刻まれたメダルを贈られた。ときにクララ19歳。左手の薬指に指輪をしてリサイタルを行い、世間にシューマンへの想いを示した。
翌年、ヴィークが「シューマンが求婚を諦めないなら撃ち殺す」と語るなど、もはや和解は不可能と悟ったシューマンは、裁判で結婚許可を得るべく訴訟に踏み切った。クララは父と戦う覚悟を決め、訴状にはシューマンとクララのサインがあった。憤慨したヴィークは街でシューマンに平手打ちを食わせ、シューマンの悪口を並べ立てた手紙を偽名でクララに送りつけた。この手紙にはさすがのシューマンも怒ってヴィークを名誉毀損で訴える。高名なメンデルスゾーンまでがシューマンに有利な証言をしたことから、ヴィークは法廷闘争を諦め、1840年8月12日、裁判所から待望の結婚許可が下された。ヴィークは偽手紙の件で2週間投獄された。
判決の翌月、30歳のシューマンはクララと結婚し、彼女は翌日に21歳の誕生日を迎えた。クララの結婚承諾から3年を経てのゴールインだった。シューマン夫妻は共通の日記を付け、日々の出来事や悩みごとを書き記し、日曜日のコーヒータイムに1週間分を朗読し、2人で生活改善に向け何をすべきか話し合った。1ページ目はシューマンが書いた。「2人の願いや悩みを記そう。お互いに対する要望のノートだ。誤解が生じたときは仲介と和解のノートにしよう。日曜日には1週間を振り返り、品位があり活動的だったかどうか、内面的にも外面的にも満たされた状態で安定していたか、僕たちの愛すべき芸術がさらに完璧に近づいていったかどうかを吟味しよう」。クララの最初のページ「私は今までにこれほど幸福な日々を経験したことはありません。私はこの世で一番幸福な妻なのです。私は毎分ごとにあなたをさらに愛するようになっていく気がします」。(後編に続く)

3.ウィーンのシューベルト公園に、ベートーヴェン(左側)とシューベルトの最初の墓が並んでいる(のちに遺骨を移転)。シューマンはこのベートーヴェンの墓前で鉄製のペンを拾い、そのペンで交響曲を書き始めた。/4.バッハは死後80年間ほど、世間からほとんど忘れられた存在だった。シューマンはバッハの墓に献花するべく、最初の埋葬地であるライプツィヒの旧ヨハネ墓地を訪れたが、既にお墓の場所を知る人は皆無。たどり着けずに途方に暮れている。
 
写真:カジポン・マルコ・残月

カジポン・マルコ・残月 Kajipon Marco Zangetsu

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1967年大阪府生まれ。文芸研究家にして「墓マイラー」の名付け親。ゴッホ、ベートーヴェン、チャップリンほか101ヵ国2,500人以上に墓参している。信念は「人間は民族や文化が違っても相違点より共通点の方が“はるかに”多い」。日本経済新聞、音楽の友、月刊石材などで執筆活動を行う。最新刊は『墓マイラー・カジポンの世界音楽家巡礼記』(音楽之友社)、共著に『地球の歩き方・世界のすごい墓』『地球の歩き方・ジョジョの奇妙な冒険』(Gakken)など。レギュラー出演に『ラジオ深夜便 世界偉人伝』(NHKラジオ)、『お墓から見たニッポン』(テレビ大阪)。コロナ禍を経て2023年に海外での墓巡礼を再開、偉人の墓と生涯を紹介したHP『文芸ジャンキー・パラダイス』は累計8,000万件アクセスを超える。

 
 
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