バーンスタインは、1985年から、ウィーン・フィル、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団、ニューヨーク・フィルを指揮して、ドイツ・グラモフォンで彼にとって2度目のマーラーの交響曲全曲の録音を始めた。しかし、1990年10月にバーンスタインが急逝し、全集は第8番の録音を欠くこととなってしまった(後に、それ以前の第8番の録音を加えて、全集として発売されることになったが)。ウィーン・フィルとの交響曲第5番は、1987年9月、フランクフルトでのライブ録音である(演奏の詳細については、この連載の第2回で述べたので、ご参照ください)。
マンフレート・ホーネックは、ウィーン国立音楽大学で学び、1983年にヴィオラ奏者としてウィーン国立歌劇場管弦楽団に入団し、その後、ウィーン・フィルのメンバーになった。周知のとおり、ウィーン・フィルのコンサートマスターであるライナー・ホーネックは、マンフレートの弟である。マンフレートは、1987年頃から、アバドの創設したグスタフ・マーラー・ユーゲント管弦楽団でアバドのアシスタントをつとめたり、ウィーン・ジュネス・オーケストラを創設したり、指揮者としての活動を始めた。1989年には、カッセルでのマーラー音楽祭で交響曲第1番「巨人」(初演100周年)を指揮して大きな成功を収める。つまり、ホーネックは、指揮者としてのキャリアの最初からマーラーを得意としていた。
バーンスタインは、1980年代、ウィーン・フィルの常連で、マーラーの交響曲では、1987年9月の第5番のほかに、1984年2月に第4番も指揮している。マンフレート・ホーネックがウィーン・フィルのヴィオラ奏者としてバーンスタインと共演して、彼からどんな影響を受けたのか、機会があればきいてみたいものである。
|