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PMF Founded by Leonard Bernstein PMF MUSIC PARTNER
2024年1月 - vol. 106
 
PMF

令和6年能登半島地震により、亡くなられた方々に謹んで哀悼の意を表するとともに、被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。

1日も早く日常の生活を取り戻すため、被災された皆様は全力を尽くされていることと思います。

私達PMFも、遠方の地ではありますが、今後、そうした皆様に音楽の力で少しでも心の癒やしをお届けできるよう活動してまいります。

本年も国際教育音楽祭PMFとミュージック・パートナーをどうぞよろしくお願いいたします。

公益財団法人 パシフィック・ミュージック・フェスティバル組織委員会

 

SNSを中心に話題沸騰中! ヤマハ株式会社の
音楽って、めんどくさい。だから、好き。

ヤマハ/音楽って、めんどくさい。だから、好き。

「音楽って、めんどくさい。だから、好き。」は、世界トップの総合楽器メーカーであるヤマハの企業広告です。発表直後、インスタグラムのコメント欄で「めんどくさいって、ヤマハが言うんだ」という驚きの反応があったほどインパクトが大きいものでした。
話題をさらい、多くの共感を呼んでいる理由は、わかりやすい言葉で綴った20文字たらずのメッセージが、音楽の本質や存在価値を見事に言い当て、私たちの心に響くからでしょう。広告の域を超えて「ヤマハ」ブランドの、そして、音楽そのものの哲学とも言えそうです。
この広告コピーは主に楽器を演奏する人の視点で描かれていますが、リスナーとしてコンサートに足を運び、一期一会の音楽を楽しもうとする人にとっても全く同じ。チケット購入に始まり、当日は仕事が押して会場まで走り、到着がギリギリになることもあります。演奏中には空腹や予期せぬ眠気に襲われることもしばしばです。だからといって、デジタルデバイスのように楽章を飛ばして聴くことはできません。でも、アーティストの情熱的な演奏に触れ、その気持ちをダイレクトに感じ取り、ステージと客席が一つになれた時、会場は感動に包まれ「またコンサートに行こう」と音楽ファンは思うのです。
今の時代、わからないこと、知りたい情報は「検索」すれば“ほぼ解決”できます。音楽も情報化によって、好きなアーティストのアルバムの、好きな楽曲だけを聴くことができます。その一方で、予想外の発見や素敵な偶然に出会う、セレンディピティは少なくなっているかもしれません。現在、Z世代の間で“盛らないSNS”のアプリが人気となっているように「めんどくさい」なかにドキドキやワクワクを求める原点回帰とも言える現象が起きています。
誰もが一度きりの人生を生きています。ヤマハの「音楽って、めんどくさい。だから、好き。」は、音楽を演奏する人、音楽を聴く人にとって「生きている実感」「生きている証」に他なりません。同社のブランデッドムービーを見れば、きっと共感できるはず。同じ気持ちで、2024年を音楽とともに明るく元気に過ごしましょう!

 

2024年5月、ヤマハの音楽レッスンは
「YAMAHA MUSIC SCHOOL」へ

音楽の語源は「楽器で音を鳴らす」こと。「音楽で、人生が弾む場所をつくりたい」という、これまでも、これからも変わらないヤマハの想いを、中島みゆきさんの『時代』にのせてお届けする感動のムービーをご覧ください!
「ヤマハ音楽教室」「Yamaha Music Lesson」「青春ポップス」「MUSIC AVENUE」の4つがひとつになり、「YAMAHA MUSIC SCHOOL」として生まれ変わります。
新緑の季節から、楽器をはじめてみませんか。
YAMAHA MUSIC SCHOOLポスター
 
日本発のブランドを対象とした、ブランド価値ランキング評価「Best Japan Brands 2023(※)」が発表した上位100ブランド中、「ヤマハ」ブランドは28位(※)です。ブランド力が高いということは、世界を舞台に、より多くの人や企業などとコミュニケーションを図ることができますね。ヤマハグループの海外進出は1908年なので、以来、ヤマハは音楽を共通の言葉としながら多様性や持続可能性を志向し、延いては平和な社会を目指してきた先駆者と言えます!

国際教育音楽祭PMFは1990年の創設以来、
ヤマハ/ヤマハミュージックジャパンにご支援いただいています。

 
人生に参拝!

人生に参拝!は、文芸研究家で元祖・墓マイラーのカジポン・マルコ・残月さんがミュージック・パートナーのために書き下ろす音楽家たちの生き様エッセイ。今回の偉人はストラヴィンスキーです。
これまでに二度、彼のお墓参りをしているカジポンさん。「僕のストラヴィンスキー愛を注ぎ込みました!」という物語を読めば、今年の夏、新鋭エリアス・グランディの指揮でPMFオーケストラが演奏する「火の鳥」に一層期待が高まります!

season3 第1回/イーゴリ・フョードロヴィチ・ストラヴィンスキー/誕生日 1882年6月17日 命日 1971年4月6日/ロシアの作曲家・指揮者・ピアニスト

「何かを創造するには心を突き動かす力が必要だ。心を突き動かす力のうちで、愛に勝るものがあるだろうか」(ストラヴィンスキー)。20世紀音楽を切り開いたロシア出身の作曲家ストラヴィンスキーは1882年6月17日、ペテルブルク郊外に生まれた。父はバス歌手。当初は大学で法律を学んでいたが、級友に作曲家リムスキー=コルサコフ(1844-1908)の息子がおり、彼を通して晩年のリムスキー=コルサコフの知遇を得る。巨匠から作曲法と管弦楽法の個人授業を受けられることになり、25歳で作品1となる『交響曲第1番』を完成させた。翌年、メーテルリンクの昆虫観察録『蜜蜂の生活』に着想を得た管弦楽作品『幻想的スケルツォ』を作曲し、その初演会場にいた興行師セルゲイ・ディアギレフ(1872-1929)に才能を見出された。
ディアギレフは当時37歳。バレエ・リュス(ロシア・バレエ団)を結成し、パリで行う旗揚げ公演『レ・シルフィード』のため、ショパンの楽曲の編曲をストラヴィンスキーに依頼した。バレエ・リュスは喝采を浴び、気を良くしたディアギレフは翌年のパリ公演に向けてストラヴィンスキーに楽曲を追加発注し、ここに近代バレエ界の最強タッグが生まれる。
1910年、28歳のストラヴィンスキーはバレエ・リュスのため舞踏組曲『火の鳥』を作曲、パリ・オペラ座で初演された。ロシアのおとぎ話「火の鳥」は、悪魔にさらわれて魔法の園に幽閉された美しい王女を、王子が救出する物語。王子は火の鳥からもらった魔法の羽の力で悪魔を倒す。随所にロシア民謡が使用され、リムスキー=コルサコフから伝授された色彩効果の高い管弦楽が聴衆を魅了し、初演は大成功。『火の鳥』はストラヴィンスキーの出世作となった。また、のちにこの曲は手塚治虫の名作マンガ『火の鳥』が生まれるきっかけのひとつになる。翌年、スイスで作曲したバレエ曲『ペトルーシュカ』をバレエ・リュスが初演すると、こちらも大きな成功を収め、ストラヴィンスキーはさらに名を高めた。
そして1913年5月29日!初演が未曾有の大混乱となった20世紀最大の問題作、バレエ『春の祭典』が上演される。本作は完成したシャンゼリゼ劇場のこけら落としの目玉としてバレエ・リュスが公演した。『春の祭典』以前のバレエが描いていたのはロマンチックなおとぎ話や神話の世界。当時31歳のストラヴィンスキーが考案したストーリーは、古代ロシアの原野を舞台にした大地と太陽の神への賛美と崇拝であった。春の訪れに沸き立つ人々は、大地の恵みに感謝して踊り、太陽神に生け贄として差し出された娘は息絶えるまで舞い続ける。振付は天才舞踏家ニジンスキーが行い、120回もの稽古を経て本番に挑んだ。
冒頭、短い序奏の後に幕が開くと、バレエの常識を破ってダンサーが“内股”で立っており、首を傾げ、腰を曲げたまま跳ね回った。観客は従来のバレエと全く違う動きに面食らう。不協和音を大胆に採用した耳慣れない音楽、荒々しく肉感的な変拍子のリズムが轟くなか、保守的な聴衆は怒り始めた。「なんだこの騒音は!」「ロシアに帰れ!」とブーイングは大きくなり、やがてオーケストラの音が聞こえないほどの大騒ぎになった。ダンサーたちが頬杖をつくようなポーズをとると、「お前ら歯が痛いのか!」と野次が飛ぶ。一方、若い聴衆を中心に「これこそ新しいバレエだ!」と革新的な舞台に喝采を送る者もいて、互いに罵り合い、殴り合いの喧嘩に発展し、警察が介入する事態に陥った。
序曲の出だしでファゴットが不得手な音域を演奏させられており、当時78歳の作曲家サン・サーンス(1835-1921)は「楽器の使い方がなっていない、そんな者の曲は聴きたくない」と席を立った。ストラヴィンスキーいわく「不愉快極まる示威は次第に高くなり、やがて恐るべき喧騒に発展した」「我々は興奮していた。(客席の反応に)腹が立ちムカついていたが、幸せだった」。新聞はこのスキャンダルを「春の虐殺」と書き立てた。

1・2.1910年に『火の鳥』が初演されたパリ・オペラ座。この成功でストラヴィンスキーの名は欧州で広く知られていく。

当時のフランス楽壇を牽引したドビュッシーらの印象派音楽は、音の輪郭線が甘い幻想的なものであった。『春の祭典』の賛美者は、それとは全く異なるエキゾチックで野性味のあるリズムに熱狂し、ストラヴィンスキーは現代音楽の旗手と目されるようになった。同年、ストラヴィンスキーは紀貫之、山部赤人らの和歌を題材にしたロシア語歌曲集『3つの日本の抒情詩』を作曲している。彼は別荘の壁を浮世絵で飾っていた。
第一次世界大戦が勃発すると、スイス訪問中のストラヴィンスキーは戦争のため帰国できなくなり、そのままスイスに居を定めた。続いて35歳のときにロシア革命が起き、彼はロシア国内に所有していた資産を没収されて経済的苦境に陥り、ココ・シャネルから金銭面のサポートを受ける。第二次世界大戦が始まると、米国ハーバード大学で講義をするなど戦火をさけて米国にとどまった。ドイツではナチスがストラヴィンスキーの前衛作品を「退廃音楽」と誹謗した。
音楽面では30代後半からジャズに傾倒し、40代になると『新古典主義』を宣言して「バッハに還れ」と呼びかけた。70代に入ってシェーンベルクらが開拓した十二音技法を自作に採用し始めるなど、作曲スタイルは人生を通して変化していき、晩年は宗教音楽に没入していった。
1959年、77歳で初来日し、東京と大阪で演奏会を行う。この滞在中に当時29歳の武満徹(1930-1996)の『弦楽のためのレクイエム』を知り絶賛、いち早く世界にその才能を紹介した。それまで武満を冷遇してきた日本の批評家は一斉に手の平を返した。80歳になっても創作は続き、ノアの箱舟を題材にした劇音楽『洪水』がグラミー賞のクラシック現代作品部門に輝く。
その後、病を得たストラヴィンスキーは、84歳で作曲の筆を置き、ベートーヴェンなどのレコードを聴いて残りの日々を過ごし、1971年4月6日、肺浮腫によりニューヨークの自宅で88年の生涯を閉じた。
ロシアに生まれ、欧州で成功を掴み、米国で世を去ったコスモポリタンのストラヴィンスキー。その亡骸は、遺言によって恩人ディアギレフが眠る水の都ヴェネツィアに運ばれ、サン・ミケーレ島の墓地に埋葬された。ディアギレフの他界から42年も経っていたが、心にはいつも彼がいたのだろう。一時期ストラヴィンスキーと深い関係にあったココ・シャネルも同じ年に世を去っている。
原始主義、ジャズ、新古典主義、無調主義など、頻繁に音楽様式を変えたストラヴィンスキー。音楽における冒険者であり、他界6年後の1977年、米国NASAは惑星探査機ボイジャーに人類から異星人への贈り物として、ストラヴィンスキー自身の指揮による『春の祭典』を収録したレコードを搭載した。遠い未来、宇宙の彼方で彼の音楽が鳴り響いたときの驚きぶりが楽しみだ。

3.ココ・シャネルの墓(スイス)。服飾デザイナーとして成功した彼女はストラヴィンスキーの才能に惚れ込み、『春の祭典』再演のために多額の支援を行い、また、パリで家を探していた彼に自分の別荘を提供した。/4.ディアギレフの墓(イタリア)。ストラヴィンスキーと同じエリアにある。彼がバレエ・リュスを旗揚げするまで、欧州ではバレエを芸術と捉えず、単なる娯楽として軽視する風潮があった。若きストラヴィンスキーの才能を見出し、2人が組むことで約束事から解放された20世紀のバレエが花開いた。墓にトウシューズが供えられている。

墓巡礼
ヴェネツィアではヴァポレット(水上バス)で人々が移動する。ストラヴィンスキーが眠るサン・ミケーレ島は停留所名が「CIMITERO(墓地)」であり、墓地に特化した島だ。1837年、当局は衛生上の理由から市内の墓をこの島に集めた。41番と42番のヴァポレットに乗れば、本島から10分ほどで桟橋に着く。8万人以上も眠っているため、管理事務所で必ず地図をもらい、印を付けてもらおう。ストラヴィンスキーとディアギレフに同時に会える大きな感動が待っている。

5・6.ストラヴィンスキーが眠るヴェネツィアは建築物や運河の美しさから「アドリア海の女王」と讃えられてきた。/7.ヴェネツィア沖に浮かぶサン・ミケーレ島。“ドップラー効果”で有名な科学者ドップラーなど8万5千人が眠っている。/8.ストラヴィンスキーの墓(イタリア)。表面に小さな十字架の絵と名前が刻まれただけのシンプルな墓石で、妻ヴェラが隣に埋葬されている。2018年、ストラヴィンスキーの墓に近い場所が競売にかけられ、フランスの製薬会社の社長が約35万ユーロ(約4,600万円)で落札。世間を驚かせた。
 
写真:カジポン・マルコ・残月

カジポン・マルコ・残月 Kajipon Marco Zangetsu

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1967年大阪府生まれ。文芸研究家にして「墓マイラー」の名付け親。ゴッホ、ベートーヴェン、チャップリンほか101ヵ国2,520人に墓参している。信念は「人間は民族や文化が違っても相違点より共通点の方がはるかに多い」。日本経済新聞、音楽の友、月刊石材などで執筆活動を行う。最新刊は『墓マイラー・カジポンの世界音楽家巡礼記』(音楽之友社)、共著に『地球の歩き方・世界のすごい墓』『地球の歩き方・ジョジョの奇妙な冒険』(Gakken)など。レギュラー出演に『ラジオ深夜便 世界偉人伝』(NHKラジオ)、『お墓から見たニッポン』(テレビ大阪)。コロナ禍を経て2023年に海外での墓巡礼を再開、偉人の墓と生涯を紹介したHP『文芸ジャンキー・パラダイス』は累計8,000万件アクセスを超える。

書籍のご案内/好評発売中!ONTOMO MOOK「音楽の友」編 墓マイラー・カジポンの世界音楽家巡礼記/判型 B5判/ページ数 160ページ(オールカラー)/定価 2,200円(本体2,000円+税)/商品ページ(音楽之友社)
 
 
現場の頻出後をランダムでご紹介!PMFのあいうえおミニ
し:仕込み、は:バラシ

「仕込み」と「バラシ」は舞台用語の対義語。華やかなステージの前後には舞台スタッフが行う、山台(ホールによっては電動迫り)やピアノのような大型楽器、譜面台などの搬入・搬出のほか、照明や音響のセッティング作業が必須だ。準備を「仕込み」、撤去作業を「バラシ」という。
PMF2023では指揮者のトーマス・ダウスゴ―の意向により、PMFオーケストラ(後半プログラム)の舞台は第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンを左右に分ける「両翼配置」とした。

コンサートの数だけ「仕込み」と「バラシ」があり、そこにいた人の数だけ感動と喜びがある!
 
 
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公益財団法人 パシフィック・ミュージック・フェスティバル組織委員会

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