バーンスタインは、指揮活動の合間に作曲を行っていたような印象を受けるが、彼が亡くなって30年以上が経ち、改めて彼の作品を概観すると、バーンスタインは、一つ一つの作品に自分の描きたいことを述べ、トータルで自分を語り尽くしていたように思われる。
交響曲第1番「エレミア」(1942年完成)では、敬虔なユダヤ教徒であった父親(ウクライナ出身のユダヤ人)から強い影響を受けた彼が、自らの出自を描いている。つまり、ユダヤ人がどうして祖国を失い、放浪の民となったか、その原点ともいえる「バビロン捕囚」前後の出来事を題材として交響曲を書いたのであった。
交響曲第2番「不安の時代」(1949年初演)は、ニューヨークのバーで三人の男性と一人の女性が会話をかわす、W. H. オーデンの同名の詩にインスピレーションを受けて書かれた。ここでは神を信じられなくなった現代人の不幸と信仰の回復が描かれる。
第3番「カディッシュ」(1963年初演)では、ユダヤ教徒である彼の神に対する愛憎入り混じった複雑な感情が吐露されている。バーンスタインは、戦争や自然災害など人間の困難な現状に対して何も応えてくれない神に対して、懐疑を抱き、怒りに近い気持ちをぶつける。しかし、最終的には、神と和解し、ともにあることを呼びかける。語り、ソプラノ独唱、合唱を伴う大規模な交響曲である。
「カディッシュ」とは、死者に捧げるユダヤ教の祈りの言葉。「聖化」を意味する。合唱や独唱者に歌われる歌詞は、「カディッシュ」の祈りから採られ、ヘブライ語、アラム語で書かれているが、語りのテキストは、バーンスタイン自身によって英語で書かれ、彼の思想がストレートに表明されている。この交響曲には、3つのカディッシュが含まれ、第1楽章の不安定なカディッシュが、第2楽章のソプラノが歌う子守歌のようなカディッシュを経て、第3楽章の児童合唱が歌う喜ばしいカディッシュへと至る。原爆投下40周年の1985年8月6日、バーンスタインは、ECユース・オーケストラとともに広島を訪れ、自らこの交響曲を指揮したのであった。
バーンスタインは、1976年にドイツ・グラモフォンと契約を結ぶと、まず、イスラエル・フィルと自作の交響曲の録音を希望し、1977年に彼らと全交響曲を録音した。
バーンスタインは、ユダヤ人として第1番を、現代人として第2番を、人間として第3番を書いたといえるかもしれない。そしてそれらを発展させたのが、シアターピース「ミサ」(1971年初演)である。彼は、既成の宗教的な権威へ異議を申し立て、民衆一人ひとりによる、新たな信仰の構築を目指す。また、第4次中東戦争で死んだイスラエルの若いフルート奏者に捧げた「ハリル」(1981年初演)では、バーンスタインの反戦思想や平和への希求が示されている。
バーンスタインのシリアスな作品には彼のその時々の問題意識が表れていて、それらを聴けば、バーンスタインがどういう思想の持ち主であったか、よくわかる。
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