PMF Founded by Leonard BernsteinPMF MUSIC PARTNER 2021年12月号 vol. 83
 
ミュージック・パートナー年末特別企画/東日本大震災から10年 コロナ禍から2年/音の匠・伊福部達さんが語る/心と体に届く福祉工学の知恵

新年も音楽とともに明るく元気に過ごすため、音に関する知識を深め、命や人生について思いを巡らす年末特別企画の2回目です。
緊急地震速報チャイムの作曲で知られるゲストの伊福部達さんは、40年以上も前から日本の長寿社会を見据え、高齢者や障がいのある人を技術で支援する福祉工学を開拓した第一人者。聴覚研究から始まった「聴く」「見る」「話す」を助ける福祉工学の知見は、現在、AI(人工知能)やロボット、バーチャルリアリティなどの先端技術で実用化されています。また、その技術は、超高齢社会の切り札として注目を集めるジェロンテクノロジー(老化現象を技術でサポートすること)やゲームなどのエンターテインメント分野での活用が期待されています。
今回は「音の福祉工学」と題し、伊福部先生の研究の原点、そして音楽の原点について語っていただきます。年末だからこそ、じっくり読みたい特別エッセイです。

第2回/音の福祉工学〜「指で聴く」から音楽の原点を見つめる〜 伊福部 達

私は、福祉工学といわれる学問分野で研究をしている。学生時代に電子工学の技術を人工心臓やCTスキャンなどに応用する医療工学分野の研究をしていたが、音楽家の叔父の影響で聴覚に障がいのある人に音楽を聴いてもらおうと、この分野に入った。
長年にわたり聴覚障がいの研究をしていて「音楽は、本来、論理的・哲学的あるいは説明的なものというよりは身体で感じる原始的な刺激ではないか」と思うようになった。つまり何億年という歳月にわたって、地球環境で生まれる様々なリズムや波動が身体に伝わり、あるときは危険を知らせる刺激として、あるときは喜びや安らぎを与える刺激として脳に刻まれ、その刺激の一つが「音」になったのであろう。
今回は、私が最初に取り組んだ聴覚障がい者のための「指で聴く」装置の開発を行っていた経験から垣間見た「音楽の原点」について話したい。

触覚と聴覚の共通性に着目。「指で聴く」装置をつくったが…

福祉工学は、人が失った「聴く」「見る」などの感覚や手足の機能を支援する工学分野で、医療技術での治癒が難しい人や高齢者を対象としている。もう半世紀の昔になるが、大学院の修士課程の時に、音を身体感覚とくに触覚に伝える聴覚障がい者のための「触知ボコーダ()」という装置の開発に取り組んだ。
きっかけは、1961年にノーベル生理学・医学賞を受賞したゲオルク・フォン・ベーケーシ(1899-1972)の生き方と彼の著書にひかれたことによる。電話技師で、生理学者だった彼は感覚の研究に一生を捧げた。人間の五感には共通する機能があることを、発想豊かな実験を通して実証したベーケーシは「聴覚を触覚で代行できるのではないか」と晩年に述べている。
私も「指先で点字を読めるのだから、工夫をすれば指先で音を聴けるのではないか」と考え、指先の触覚と聴覚との類似性を色々な観点から調べた。また、当時のSPレコードが音溝の凹凸の時間変化(振動)を音に変換していたため、それを逆にすれば音を振動に変えることができるのではないかと閃き、メーカーから大量のピックアップ(レコードから電気信号を取り出すための装置)を無償提供してもらい研究を続けた。完成したのが、縦16列・横3行の48個の振動子アレイを介して、指先に音を伝える装置「触知ボコーダ」である。北大の近くにあった札幌聾学校の生徒たちに使ってもらったところ、意外にも何人かの生徒は「聞こえる」と答え、その刺激ではしゃいだり、驚いて手を引っ込めたりした。「触知ボコーダ」を実験的に使用している様子はNHKでドキュメンタリー番組「指で聴いたアイウエオ」として取り上げられるなど、この装置は国内外で話題を呼んだ。しかし、現場では「触覚に与えた音声パターンをいくら覚えても言葉の理解には結びつかない」という意見が大勢を占め、私は研究を止めざるを得なかった。

※「ボコーダ」とは「ヴォイス(voice)」と「コーダー(coder)」を合わせた言葉で、音声サウンドをつくるエフェクターのこと

Tips/伊福部先生は、ヒトの感覚やコミュニケーションを助けるための「支援技術」の研究と「福祉機器」の開発を行っています。/東京大学 先端科学技術研究センター伊福部研究室の主な福祉工学研究/「聴く」を助ける技術 触知ボコーダ、人工内耳音声同時字幕システム、話速変換機など 触知ボコーダ/伊福部先生 触知ボコーダは「麻雀の盲牌(モウパイ)」からの発想です。音声同時字幕システムは国際会議などで使われています。夕張国際映画祭でも英語、韓国語、フランス語、日本語の4言語を字幕にしました。/「見る」を助ける技術 音声読み上げソフト、タクタイルジョグダイヤル超音波眼鏡、障害物知覚 など/「話す」を助ける技術 抑揚機能付き人工喉頭、人工喉頭のハンズフリー化タッチパッドを用いた音声生成機など

30年後「触知ボコーダ」で盲ろう女性が高らかに歌う

私にとって「音の福祉工学」の原点ともいえる「触知ボコーダ」は聾教育に使われることがないまま、世界的にも研究は途絶えてしまい、その後、私は音声を文字にする「音声同時字幕システム」や聴神経を電気刺激する「人工内耳」の研究に方向転換していた。
ところが2000年頃に、触覚を介しても音が聴覚領野に伝わるという「脳の可塑性(かそせい)」の発表が相次いだ。同じ頃、東大の先端科学技術研究センターに「バリアフリープロジェクト」が発足し、手伝ってほしいという依頼に応じて2002年から東京に移り住んだ。そのプロジェクトリーダーは自らが盲でも聾でもあり、世界で初めて常勤の大学教員となった福島智さん(1962-)である。福島博士は母親と一緒に考案した「指点字」をコミュニケーションの手段としていた。通訳者が話者の声や書類の文字などを6本の指にして伝える方法である。
私は、暑い夏の日に短パン姿で初めて福島先生と会った際、「涼しそうですね」といわれて戸惑った。質問すると、わずか3秒ほどで答えが返ってくることにも驚いた。「指点字」は周囲がどのような環境なのか、誰がいるのか、その場の雰囲気はどうなのかを、指のタッチやリズム、撫で方の違いで伝えているのだった。私は意を強くし、2006年から福島研究室で「触知ボコーダ」の研究を再開した。昔と違い、コンピュータが著しく小さく安くなったことから、手のひらに乗る大きさにすることができた。
謡(うたい)の先生だった67歳の女性が「もう一度、歌えるようになりたい」と研究室を訪ねて来た。彼女は40歳の時に視力と聴覚を喪失した盲ろう者である。その夢を叶えてあげたいと、私は教え子と一緒に「触知ボコーダ」を改良した。盲ろうの人でも歌をうたえるように、歌声の高さに応じて振動する位置が上下する改良版「触知ボコーダ」を試してもらったところ、何と30分程度の訓練で「夕焼け小焼け」などの童謡が歌えるようになり、「若い頃に戻ったようだ」と喜ばれた。彼女は自分の声の高さを指先で確認しながら発声することで(触覚〜脳〜発声がループを描く)、自信を持って歌うことができたのだろう。
ヒトの脳は変わるのである(脳の可塑性)。30年前に「触覚で言葉が分かるはずがない」と基礎科学の欠如から中断した私の「指で聴く」研究は、脳科学の進歩により加速した。AI(人工知能)やロボット分野でも触覚研究が盛んに行われている。

研究の原点から、音楽の原点をみつめる

前回、緊急地震速報チャイムを聞いた犬や猫が逃げ回るという話をした。彼らも脳の深部で、人類あるいは動物たちが共有する原始的かつ身体的な感覚刺激を受け取っているのだと思う。諸説あるものの、聴覚の起源は、魚の横腹にある「触覚センサ」であるといわれている。哺乳類の聴覚の内耳にある蝸牛(かぎゅう)管には薄い膜がはられており、その膜の振動パターンは音によって変わり、その変化を有毛細胞であるセンサがキャッチして脳に送っている。魚の横腹の表面に付いている側線器(そくせんき)という毛の生えた細胞が同様の働きをするため、この「触覚センサ」が聴覚の始まりとされる。海で生活していた魚たちは側線器を介して、敵が来たときの海水の動きは荒々しく感じ、すぐに逃げよという信号が全身に送られていたはずである。一方、静かに流れる海水ではリラックスして休んでいて良いという信号が全身に送られていたことであろう。ヒトもまた、音刺激により蝸牛管内の膜が振動し、その振動パターンによって危険や不安を感じさせる「不協和音」になったり、安らぎや喜びを感じさせる「長調の協和音」、悲しみを感じさせる「短調の協和音」になったりするのであろう。ちなみに、地震チャイムは長調と短調が混じっており、一種の不協和音にもなっている。
私が取り組んだ指で聴く一連の研究から「音楽の原点」は動物たちが獲得した原始的な身体感覚にあるのではないかと確信するようになった。その身体感覚がヒトの聴覚へと進化し、音の刺激が脳内で情動や情緒と結びついた。さらにヒトが集団で生活するようになってからは、その風土や暮らしぶりによって様々な美観や感性が形成された。そして、それを表現する歌、踊り、楽器が生まれ、やがて音楽という総合芸術へと昇華していったのではないだろうか。独断的な思いではあるが、音楽を愛する読者も音楽の起源について思いを巡らせてもらえれば幸いである。

Tips/伊福部先生、ありがとうございました!今回は少し難しい内容でしたが、とても勉強になりました。障がいのある人を助けるための福祉工学の知見が、今では、すべての人が高齢社会を豊かに生きるためのユニバーサルデザインとして求められています。「優れた音楽は、民族の特殊性を通過してはじめて、普遍性に到達する」という伊福部昭さんの信条と重なります。/エッセイ(第2回)のポイント/作曲家・伊福部昭さんの影響で、聴覚に障がいのある人に音楽を聴いてもらおうと福祉工学の分野に入った。/福祉工学の目的は、人が失った「聴く」「見る」などの感覚や手足の機能を最新の技術で支援すること。/諸説あるものの、聴覚の起源は、魚の横腹の表面にある側線器という「触覚センサ」といわれる。/「触覚が進化して聴覚になった」から始まった、指で聴く「触知ボコーダ」は、音の福祉工学の原点ともいえる装置であり、音楽の原点をみつめる研究となった。/長年の研究から、音楽の原点は触覚などの「原始的な身体感覚」にあり、音楽は本来「身体で感じる原始的な刺激」ではないかと確信している。/聴覚の起源が“魚の耳”にあったとは初耳です。確かに…音楽に感動したとき、それを言葉で表現できないのは「身体で感じているから」かもしれませんね。また、人間には「可塑性」という失った感覚や機能を補う能力があること、脳科学をはじめ様々な分野と連携する福祉工学の技術は、私たちが音楽を楽しみながら生きていくうえで“心強い知恵”になります!
写真:伊福部 達

著者 伊福部 達(いふくべ・とおる)

工学博士
東京大学 先端科学技術研究センター研究顧問
北海道大学名誉教授、東京大学名誉教授
株式会社シザナック副社長

1971年 北海道大学 工学研究科修士課程(電子工学)修了/1989年 北海道大学 応用電気研究所(医用電子工学部門)教授/2002年 東京大学 先端科学技術研究センター(バリアフリー分野)教授/2011年 東京大学 高齢社会総合研究機構 特任研究員、JST(国立研究開発法人科学技術振興機構)S-イノベ「高齢社会を豊かにする科学技術システムの創成」代表、北海道科学大学教授(2015〜2017年度)など
福祉工学のパイオニア・伊福部先生に質問いろいろコーナー
Tips:札幌ラーメンといえば「みそ」ですが、好きなお味は?/伊福部先生:みそ味です。家から近いこともあり、中島公園の近くにあった「純連(すみれ)」というラーメン屋によく行っていました。/Tips:開業50周年の札幌市営地下鉄では、駅メロに「虹と雪のバラード」が流れます。素敵なメロディです。この札幌オリンピック(1972年)のテーマ曲を作詞した医師で詩人の故・河邨文一郎さんは先生に影響を与えた方と聞きましたが。/伊福部先生:河邨先生は、整形外科医でポリオ(小児麻痺)の療育分野で世界的な権威でした。私は小さい頃、九死に一生を得るような大怪我をして先生に手術を受けたのです。最悪の事態から救っていただきました。先生は陥没した頭蓋骨のレントゲンを見せてくださったり、いろいろな医療器具の使い方を教えてくださったり…私の科学分野への興味を広げてくださった恩人です。
Tips:伊福部昭さんの作品でいちばん好きな曲は?/伊福部先生:迷いますが…「リトミカオスティナート」かも知れないですね。同じほど好きなのは「サロメ」「ラウダコンチェルタータ」とか。学生の頃、少しだけマンドリン倶楽部でギターを担当しており、その頃に叔父が書いた「箜篌歌(くごか)」をよく弾いていたことから、その曲は大好きになりました。/Tips:“白亜の洋館”で生まれ育ったそうですね。/伊福部先生:私はアイヌの聖地と呼ばれる二風谷(北海道沙流郡平取町)にある「マンロー邸」で生まれました。ここはアイヌの研究と医療に生涯を捧げたイギリスの医師で考古学者、人類学者のニール・ゴードン・マンロー(Neil Gordon Munro)の家です。札幌に戻るまでの6年間、私はこの美しい洋館で過ごしました。/Tips:あるサイトで「日本全国に伊福部さんは約50人」と見ました。伊福部ファミリーのルーツに興味津々です。/伊福部先生:伊福部家は因幡(鳥取)で1600年ほど続く最も古い地方豪族で、全国にいる約50人は親戚です。10数代目には大和尊(ヤマトタケル)と働いた武内宿禰などがおり、その後は宇部神社の宮司を務め、私どもで68代目になります。
Tips:ご趣味は(お仕事以外でホッとする時間など)?/伊福部先生:高校生頃からクラシックギターに夢中になり、それが趣味でした。指をケガしてから遠ざかってしまいましたが。ただ、未だにモノ作りは本職でもあり趣味でもあります。/Tips:テクノロジーの応用でサイエンスは拓かれていくと思います。先生は、長年の研究と成果で「福祉工学」という新しい分野を確立されました。自分は「何をしたいのか」「何を知りたいのか」という出発点をつかむ直観、研究やビジネスにおいて「拠って立つコンセプト」をつくる感性そのものは、サイエンスとは別モノかと…。緊急地震速報チャイムという今まで聞いたことがない音を作曲した時のように、先生のなかでインスピレーションやセンスは大切なものですか?/伊福部先生:私は勉強が苦手だったので、研究の発想は自然とインスピレーションに頼るようになりました。もちろん大切ですが、インスピレーションやセンスは学校で教わるものでもないし、鍛えれば良くなるものでもなく…それだけに頼ると行き詰まる恐れがあります。/Tips:最後にPMFに、ひと言メッセージをお願いいたします。/伊福部先生:設立時の板垣市長とバーンスタインの意志、実際に動いた人たちの想いが受け継がれていくようにしてほしい。現役の人たちは、後輩たちに向けて、PMF創設の歴史(産みの苦しみ、バーンスタイン亡き後の継続する努力)を学ぶように教育してほしいです。
 

できるところからSDGs実践中!
PMF2021 公式報告書(E-book)

PMF2021公式報告書のイメージ

今年の音楽祭を写真とデータで振り返る「PMF2021公式報告書」が完成しました。国連が掲げる持続可能な開発目標SDGs(エス・ディー・ジーズ)のうち、12(つくる責任つかう責任)の視点から、E-book(電子書籍版)で2022年12月31日まで公開しています。ぜひ一度ご覧ください!

PMF2021 公式報告書(E-book)
フォトギャラリー
 

PMFと音楽でつながる“情報の定期便”
バックナンバーのご案内

PMFの最新情報とクラシック音楽の話題を月に一度のペースで発信しているミュージック・パートナー。
8月号から11月号までのバックナンバーを公式ウェブサイトに公開しました。途中から配信登録された方も創刊からの軌跡をチェックできます。
今年は休刊することなく、読者の皆様に12号を無事お届けすることができました。来年もどうぞよろしくお願いします。

月刊メール PMFミュージック・パートナー/コンセプト PMFと音楽でつながる”情報の定期便”/2014年11月に創刊したPMF MUSIC PARTNER(ミュージック・パートナー)。以来、PMFの最新情報とクラシック音楽の話題を月に一度のペースで発信しています。月刊メールだけの連載企画やコンテンツも!季節を感じながら、音楽の夏が待ち遠しくなるような誌面づくりを目指しています。
PMF MUSIC PARTNER(バックナンバー)
 

読者の皆様へ

ミュージック・パートナーのご感想をお寄せください。
ご感想はメール(musicpartner@pmf.jp)まで

イラスト:手紙とコーヒー
 
本メールはご登録いただいた方と関係者に配信しています。
●バックナンバーは https://www.pmf.or.jp/jp/mail/ をご覧ください。
●「PMFオンラインサービス」にご登録された方は https://yyk1.ka-ruku.com/pmf-s/ からログインのうえ、登録内容の変更やメールの配信停止を設定できます。
●お問い合わせ・ご意見、関係者の方で配信停止を希望される場合は musicpartner@pmf.jp までお知らせください。

公益財団法人 パシフィック・ミュージック・フェスティバル組織委員会

[Webサイト] https://www.pmf.or.jp/
〒060-0052 北海道札幌市中央区南2条東1丁目1-14 住友生命札幌中央ビル1階
TEL : 011-242-2211  FAX : 011-242-1687
(c) PACIFIC MUSIC FESTIVAL ORGANIZING COMMITTEE all rights reserved.※本メール内容の無断転載を禁じます。
PMF Facebook PMF公式ページ Twitter PMF公式ページ PMF公式 Instagram